「9年走っています」というと、さぞ素晴らしく鍛練されたスポーツマンを思い浮かべてしまうが、自分のこととなるとどうしてもその姿とは一致しない。
初めてマラソンというものを走ったのは2012年白樺高原ビーナスマラソンだった。走り始めてまだ間もない頃。旅行もかねて10kmのコース。
走り始めたきっかけは他愛ないこと。まだ東京に住んでいた頃。高校までは数えるほどしか電車に乗ったことがなかった私が、関西の大学に通い、東京で就職したのだが、なかなか満員電車というものに慣れることはなかった。幸いにも職場と自宅は10キロほどの距離だったので、苦手なことに耐え続けるくらいなら走ってみよう、と思ったのがきっかけだった。
そうそう。もっと記憶を辿ってみると、その少し前に3.11があった。
丸の内の職場でその揺れを体感した私は、いつ動くか来るかも分からない駅やタクシーの長い列を見て、ああとりあえず歩いて帰ろうと思ったのだ。電車に乗ってしか通ったことのなかった道のりは歩き始めてみると意外に近く、当たり前のことだが、確かに道は繋がっていて、自分の足でどこまででも行ける、ということを本当の意味で実感し、それは私に静かな感動を与えた。
自分で経験したことでしか自分の中に腑に落とすことができない。頑固で手間のかかる性格だな、と年々思う。
想像する、ということは私たちが持っている素晴らしいアイテムだけれど、自分の足で果たしてどこまで行けるのか、足を交互に前に運ぶ、ただそれを繰り返すだけで、こんなにも遠くへ行くことができる、というのはやはり走ってみたからこそ分かったことだった。
2014年以降は毎年フルマラソンを完走していたのだが、昨年からは機会がなく、大会がないとやる気も出ない私は久しく走っていなかったのだが、ここ3週間ほどランニングを再開している。
自分ではどうしようもないことがあまりに多いなかでも、走るという行為はいつも変わらず、自分が一歩前に踏み出しただけ前進する。自分の足で景色を変えることができる。その限りなく単純で裏切りのない行為に改めて救われている気がする夏なのだった。