湯気が恋しい季節になった。
春夏秋冬と毎朝起きて薬缶に湯を沸かし、お茶を、(たまにコーヒーを)淹れて朝が始まる。
中国茶の教室を泰勝寺ではじめていただいてから、4年が過ぎた。
泡茶指南。泡茶“パオチャ”はお茶を淹れる、の意。毎月先生が季節に合わせて選んだお茶を、飲んで、自分でも淹れてみる。
お茶といえば、緑茶、烏龍茶、紅茶くらいしか縁のなかった私だけれど、私が知っていたそれらは、ほんの氷山の一角だったのだ、と思い知る。
そして、それは未だにそうで、その果てしなさに嬉しくもなる。お茶って面白い。どこで、誰が、どの年に作ったのか。知れば知るほど学ぶことは尽きないけれど、そんな詳しいことは分からずとも、ただ目の前のお茶を口に運ぶ度に、それらが唯一無二の存在である、ということをいつも教えてくれる。そして、口元からゆっくりと喉を通り過ぎ、舌の上で、または喉元から返ってくる甘い余韻にその都度目を閉じて幸せを噛み締める。
同じお茶も、明日飲んだらまた違う。
私が今日と明日で違っているように。
目の前のお茶には、本当にいましか出会えないのだ。
今年の夏は長かったので、秋の足音には人一倍敏感だった。
10月のはじまりは、碧潭飄雪という名のジャスミン茶。香りづけされた茶葉とともに花が混ざった美しいお茶。
“青々としたふちに雪が漂う”ような様子からそんな名前がついたらしい。
湯の中で舞う花びらを雪に例えるなんて、中国語ってロマンチックですよね、と先生が鈴を転がすような声で笑う。ガラスの茶器の中で漂う花に思わず見とれて、手元に届いた茶杯から立ち上る香りに恋をする。
中国語がロマンチックなんてことも、中国茶をやってみなくちゃ気がつかなかったことのひとつ。
本格的な秋が始まった。
さあ、今日はなんのお茶を飲もう。