「しんさん」。
気がついてみたら、周りからそう呼ばれていることに、今年なぜだか今更気づいてしまった。
それがですね、自分としては面白いことに、未だお会いしてもいない、遠くにお住まいの通販のお客様なんかからも、メールやメッセージで「・・・しんさん(と勝手に呼んじゃってすみませんが)」とか丁寧なことわりが書いてあったりするから、なんだか笑ってしまうんです。いや、そりゃ嬉しいんですけどね。
先日も、とある知人が、若い初めての女性をお店に連れてきてくれた時に「ええと、こちらがvertigoのオーナーのしんさん」と紹介してくれたのだが、その子がまったく邪気なくおもむろに「・・・なんか、いかにも“しんさん”って感じの方ですね」と言われたのがすごく面白かった。
そんなに自分は“しんさん”っぽいのだろうか。いつから“しんさん”になったのだろうか。これまで考えたこともなかった。お店を10年近くやっていく中で、気がつけば自分は“しんさん”というペルソナというかキャラクターのようなものを育ててしまったのだろうか。なんだか面白おかしい話だ。
それでなくとも、うちのように小さき個人店は、それはもう「店とそれをやっている人」がひたすら同化していくというか、看板そのものを背負って歩いているようなものだろうから、そうなるのも仕方がないのかもしれない。
なんかいつもカレーとラーメンとか食べ物の話ばっか書いているしんさん。なんかいちおう雑貨屋と言ってるけど実はレコードのことばっか考えてるしんさん。なんかよく子育てのことを偉そうに書いているけど、同時にエロいことも書いては顰蹙(ひんしゅく)買ってしまうしんさん。・・・うん、まぁ、その辺はえらい自覚的なんですけども。
下の名前が二文字問題。それもあるだろう。
いちおう、中村慎、という名前でこれまで育ってきたのだけど(いや一時は嵐柴慎をやってましたが、まぁそれはね)、小さい頃から「中村くん」ではなく、「しんくん」だった。下の名前で呼ばれる人って、大体小さい頃からそうなんですよね。そうやって人はその人生を引き受けて生きていく。好む、好まないに関わらず。
もしこれが、しん、ではなく、例えばしんたろう、だったら、そんなことはなかったのかもしれないとも思う。だからこそ、自分は子どもたちの名付けについて奥さんから全任された時、「これはもう必ずや二文字だな」と直感した。そして自分が文章を書く人間だから、言偏を入れること。画数なんてちっとも気にもせず、それだけはもう決めていた。なんとも身勝手なもんです。
二文字の人生と三文字の人生は違う。ましていわんや、二文字と五文字の人生はなんだかもっと違う。どう違うんだと突っ込まれたらうまく言えないが、それは二文字の人生を送る人しかわからない話だ。であれば、僕は子どもたちと二文字の人生をこっそり共有できることになる。実は名付けるときにはそんなこと考えたこともなかったのだけれど、「しんさん」と呼ばれることでそんなことに気がついたのかもしれない。
・・・我ら二文字の人生に幸あれ。