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ひとつの奇妙な劇団

僕の家では基本、僕が料理をする。朝ご飯、お昼、夕ご飯、お弁当・・・もちろん仕事や都合もあるので、すべてがすべてとはいかないけれど、基本は僕が作ることが圧倒的に多い。

「ママぁ!・・・あ、いや、パパぁ! あのさぁ・・・」

僕を呼ぶとき、特に上の子が、気がつくとそう言い間違えることが多いのは、果たしてそのせいなんだろうか。いちおう、父としては、前からとても不思議に想っていたのだが。というか、そもそもこれって、他の家庭でもよくある話なんだろうか。父親を母親と呼び間違えてしまう小学二年生。実際台所に立っているのは僕の方が多いので、その姿をいつも見ている彼も感覚的によく分からなくなっているのかもしれない。

でも彼とてその辺は十分自覚的ではあるようで、例えばうちの奥さんが小学校の先生とたまたま料理だかご飯について立ち話なんかをしているとその横で「・・・でもうちではパパが料理をするんだけどね」と意地悪な発言を平気で口にするらしい、と聞く。どうやら自分の母親は他の家庭に比べると台所に立たないのかも、ということをしっかり肌で感じてはいるようだ。

そしてこれまたどうかと思うのは、うちの奥さん自身もそこに対してすごく自覚的だということで、息子から公にそんなある意味で嫌味なことを言われても「そうよねぇ。うちの家はそうだもんね」と笑いながら平気でやり過ごす。つまり、僕から言わせれば、あまり台所に立たない奥さんというのを自ら演じているフシがある。

だって実際のことを言えば、彼女はきちんと料理をするし、僕より揚げ物なんか上手だし、なんでも作れて、僕より几帳面な料理をする人なのだ。でもそれをまったく前面には出さず、「料理をする旦那さんの隣であまり台所に立たない奥さん」という役割を自分で積極的に演じようとする。なぜかと言えば、もちろんその方が自分は料理をしないで済むんだし、黙っていても美味しい料理が出てくるからだし、その方が結果的にすべてが円滑に行くと思っているからだろう。なんだかいったい誰が損な役割で誰が得をしているのかまったく分からないのだけども、でもまぁそれによってひとつの家庭がうまくいくのならば、それはそれで良いのかもしれない、といつも自分に言い聞かせている。

それに思うに、家族というのは、寝食含めてとある期間を過ごす「ひとつの奇妙な劇団」のようなものかもしれなくて。だからこそ、一緒に過ごす間はそれぞれの役割を演じているとも言えるわけだし、各々それをやり遂げるしかない、とも言えるような気がしている。子どもたちだって、日々よくよく観察していると、意識的にか無意識的にか、家の中で「子ども役」というのを自ら演じているような気になってくるから不思議だ。そういう意味で上の子は、いつも台所に立つ父の息子、という役を演じているのかもしれない。

そういうわけで、かろうじて父親役(いや母親役?)に選ばれた僕は、今日も台所に立ってなんらかの料理をするというわけだ。はてさて。いま、冷蔵庫には何があっただろう。

(写真:etokikaku)

中村 慎vertigo店主

熊本の白川公園の裏っかわ、満月ビルの3Fで『vertigo(ヴァーティゴ)』という雑貨店をしています。

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