「ものすごく辛いけど、めちゃくちゃ美味しいカレーを作ってくれそうですよね」。
自分がこれまで生きてきたなかで、女性から言われて一番嬉しかったのは、実はこの言葉だったりする。それはこの言葉を自分に言ってくれた人が、ことさら嘘のように美しいひとだったからではない。・・・たぶん。
「なんだかいつも身体からスパイスっぽい香りがしますよね」。これもいつしか女性から言われた言葉だ。これはややもすれば自分の脇から隅々まで体臭悪な可能性さえ感じさせるデンジャラス極まりないワードでもある。でもどうやらそれは違う。なにせ匂うくらいに、自分が普段からスパイスにまみれた生活をしているということだろう。・・・たぶん。
ことカレーに関してはそりゃ好きな食べ物のひとつではあるが、本当はとても残酷な食べ物だと昔から思っていたりする。だってこれくらいに食べ比べてしまう物も多くないから。素晴らしく美味しいカレーにひとたび出会ってしまうと、それ以後のカレー人生、次からそれとずっと延々比べてしまう。比べるべきじゃ無いだろ、それぞれ違うんだし、とも思うのだが、悲しいかなどうしても比べてしまう。そしてそれは大抵初めての素晴らしさには叶わない。そういう意味で、カレーとはどこかしら恋に似ている。とかなんとか書いてみゆ。
それでは「あなたがこれまで食べたカレーでいちばん素晴らしく美味しかったものはどれですか?」と問われたらば、これはもう即答できる。『M’S CURRY(エムズカレー)』。東京の笹塚にあった店だ。
まるで根っからインドのひとのように見える無口な日本人の男性が作っていたそのカレーは、まったくもってオリジナルだった。チキン、ビーフ、豆、と数種のカレーがいつもあったように記憶しているが、そのどれもこれもほんとうに食べたことのない味だった。すべからく、すべて美味しい。そしてまったくもってすごいのが「きっとこれは一からこの人が創りあげたオリジナルな味なんだ」ということが、食べながらにして直に伝わることだった。俗にいう、インスパイアがまったく見当たらない味といおうか。もしかしたら僕がそのネタ元を知らないだけだったかもしれないけれど、少なくとも僕はいつもそう思いながら、食べていた。
初めて食べた日のことは忘れられない。
たまたま店を見つけて一人で食べたのだけど、あまりに衝撃的に美味し過ぎて、店から出た後にこの想いをどこに持って行けばいいかわからなくて、駅前で茫然と立ち竦んだ。そしてどうしようもなくなって、結局は食魔の友人である編集者タシロくんに電話して、その想いを延々と説いた。そしてその数日後、彼と一緒にまた食べに行って、やっぱり彼も同じように衝撃を受け、ふたりでやっぱりどうしようもなくなって、駅の近所にある喫茶店に入っては、このカレーがいかに、いったいどうして、果たしてどんなふうに美味しいのかを二人して延々と語り合った。
カレーの前に必ずサラダが出るのだけど、それに付いてくるドレッシングがこれまた衝撃的な美味さだった。細めの瓶に入ったその白い液体はあまりの粘度でなかなか出てこず、瓶を振りながらじゃないと絶対に出て来てくれなかった。だから店に入るとみんなしてカウンターで瓶をブンブン振ったり、瓶のお尻をトントン叩きながらサラダにドレッシングをかけるのが、この店の決まった風景だった。その風景を見ると、なんだか気持ちが穏やかになった。
だからこそ、いつだったか、店主が病気で亡くなってしまったらしい。と聞いて、本当に本当に悲しかった。そうか、そのひとが居なくなると、もう一生食べることができなくなるものというのがこの世には確かにあるんだな、とはっきり意識したのはその時が初めてかもしれない。ひとがひとつの料理で成し遂げられることというのは、この世には確かにあるのだ、と。
面白いのが、この『M’S CURRY(エムズカレー)』に感銘を受けたひとが勝手にそのレシピを想像してサイトに載せていることで、たまに自分で作るカレーもそのレシピをベースにしていたりする。そこからいろいろ手は加えているけれど。
「これがあのカレーの味に近いか?」と言われれば、残念ながら正直まったくそんな風には思えない。あの味に叶うわけがない。それでも作りながら、食べながら、あのカレーの味を思い出しては、その記憶の味にやっぱりうっとりしてしまう。
そう。それはまるで初めて恋をしたあの時のことを思い出すかのように。