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恥のゆくえ

今想い返せば、無闇やたらに告白しまくる、恥の人生だった。告白するゆえに我あり、とばかりに好きな子に突然のように愛の告白した若き蒼き自分。もはや当時の自分にとっては告白そのものが人生のメインイベントだったのかもしれない、とさえ思えてくる。・・・まぁ告白された方はたまったもんじゃなかったかもしれないが。

例えばある時、朝イチ告白をしたことがある。まるでドトールのトースト&コーヒーセット398円を携帯見ながら喰らうかのような、それは“モーニング告白”。

あれはたしか予備校ブギーなる時。毎朝電車で一緒になる、とある女子高生が好きになってしまって、突然のように朝の通学時に告白した。

あれはたしか新水前寺駅だった。しかも場所は降りたばかりのホーム。まさしく朝の通勤ラッシュ、一日のうちでホームが一番わちゃわちゃ混雑してる時。まったくもってお前は迷惑極まりナッシング。

「・・・す、すみません! ちょ、ちょ、ちょ、ちょっ」と声をかけて彼女を呼び止める。もちろん周囲の人々がすうううっと引いて行った。なんだかあれはまるでチープすぎる映画のワンシーンのようだった。あの時たまたま立ち会っていた人たちは、今あのラ・ブームな光景を覚えていたりするのだろうか。

彼女は一瞬「はっ」といかにも驚いて見えたが、その後、常軌を逸脱して興奮MAXピンコ立ちな僕の表情を確認すると、少しだけ照れた表情を作ってみせた(ように見えた)。のちにいろいろあって、彼女のことを知るようになるのだが、つまり案外彼女は当時からそういうことに慣れていたようだった。とどのつまり、僕の方が完全に初心、ウブウブでズブズブなムッツリスケベだった。

高校の頃にもそういうのがあった。

突然とある女の子に告白する。もちろん前から気になって好きではいたのだけど、準備運動心のストレッチングまったくなし。友達にも「明日いよいよ告白すんだかんな!」と事前連絡一切なし。突然「・・・あ、今日、髪切ろ」と決めるかのような無闇矢鱈な決意っぷり。そして告白直後、当時から親友であった橋本くん(現・ラーメン屋『琥珀』店主)にトイレでそのことを突然伝えて、二人して大声を出してガチ上がりした青い春。ああ、懐かしい。

バイトをしていた好きな子のもとに突然花束を持って告白をしに行ったことも、なぜかここに白状しよう。というか、あの頃、きっと自分にとって告白とは、日々スタンドアップしていくために自らを鼓舞してはエンターテインする、ひとつの術だったような気がする。

いや、その行為を楽しんでいたわけでは、決して、ない。もちろん恋愛とはいつだって自らを失ってしまうほど、狂しくも苦しいものだ。ただ、あまりにつまらなく通りすぎていく日常を、自らの恋愛でもって苦しみ笑い飛ばしながらも蹴飛ばしていく感覚が確かにそこにあった。今日、たった今誰かに告白したって、世界は絶対ひっくり返ることはないが、自分の世界だけは一瞬でもひっくり返すことができるという、パンクに捻じ曲がったあまりにピュアな世界観。今すぐにでもレオス・カラックス映画を見返したくなるこの感じ。誰か分かっていただけるだろうか。

でも残念ながらきっとそれはザ・昭和な話であって、ザ・令和な現在の世界においては「キモい」という一言で終わってしまうのだろう。そんなことを過ぎ去ってしまった昭和な告白人生を眺めながらひとりの男は危惧している。そりゃ昭和の頃もキモかったんでしょうが、やっぱり現在とはまるで雰囲気が違っていた気がする。昔はドラマなんかでも好きな子の跡をこっそり後ろから追っていくような表現があった気がするけれど、今ではそれは完全なるストーカーでまったくアウトだし、今、朝のホームで突然知らない人に告白したら、間違いなく病院か警察行きなのではなかろうか。

それでも自分は基本、若い時にたくさん恥をかくのは、大切なことだと考えている方だ。恋愛もそうだし、遊びだとか人生におけるいろんなチャレンジもそうだけど、若い時にたくさん飛んでそれなりに怪我をしておかないと、歳を取ってから妙な飛び方をして大怪我をしてしまったり、もはやこっちの世界に戻ってこれなくなったりする。若い時にかく恥と、歳を経てからかく恥というのは、まったく違う質のものなのだろう。若い時ほど、恥をかく余地と権利があるし、なにせ感性も含めてすべてが柔らかくて新陳代謝も速いから治りやすいし、ここぞ恥のかき時なのだと。

だから、今現在のソーシャルな世界、コンプライアンス的な流れを見ていると、なかなか切ない。自分の子どもたちの恥のゆくえはどうなるんだろうか、と勝手に心配になる。恥をかけばディジタル・タトゥとして彫られ消えなくなってしまうし、ソーシャルメディアとして世界に拡散される恐れがいつも彼らの目の前にはあるようだ。果たして、今の時代に自分が若かったら、どうしていたのだろう。あんなに告白していたのか? と思ってはみるけれど、もちろんそんなことを呟いてみてもどうしようもない。でも、だからこそ、自分の若き蒼き恥をこんな場違いな場所に記してみたというわけでありまして。

彼らの恥のゆくえはいったいどこへ行くのだろうか。親としても、いち男性としても、真面目に向き合っていかねばならないな、と感じている今日この頃なのです。

中村 慎vertigo店主

熊本の白川公園の裏っかわ、満月ビルの3Fで『vertigo(ヴァーティゴ)』という雑貨店をしています。

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