人と目が合うように、木目や、波長や、自然が放つゆらぎをキャッチする。
そんな話を前回書きました。
そして、そんなゆらぎを一番キャッチしまくっているのって、
きっと子どもたちです。
私が住む森の国・小国エリアは、至る所に木がなじんだ風景があります。
オシャレで流行りだから木を使っているというよりは、
日々の営みの材料として、地域の資源として、ずっと使っている。
目につきやすい、案内表示の看板はもちろん
ふらりと歩く街並みのあらゆるところや
災害時の、斜面の土砂崩れを一時的に止めるついたてが丸太で組まれていたり。
スーパーの内装にも実は使われている。
名だたる建築家による、アートポリスな建築群もたくさん。
「あ、これって、おかあさんのおしごとのところと一緒だねえ」
そういって、木を三角形に組み上げた、美しいトラス工法の建物を指さす3歳児。
そうです、森林組合の事務所も、道の駅も、同じ時代に同じ工法でできている。
よく気づいたなあ。
先日は急に、
「木が教えてくれるんだよ、おかあさん」
「しんりんくみあいにある木が、おしえてくれるんだよー
みんな顔があるんだよー、しってた?」
と、おもむろに話し出す3歳児。
子どもたちは周りにそっと佇む木から、ゆらぎを感じて、何か対話をしているようです。
※別にうちの子に限って特殊な教育などしてはいない
実家の天井の木目を見て、あの模様って顔に見えるなあとか思っていた、30年前の私を思い出しました。
それが、大人になってとっている行動の原体験なのか、その証明は難しいですが、
暮らしの中のゆらぎは是非大切に。