まるで光を手に包んでいるよう。
福岡県飯塚で釜を構える横山秀樹さんのグラスに出会ったとき、湧きあがったのはそんな感情。光のような、あるときは雨、雪、風のような。ガラスに表情がある、と知ったのは横山さんのガラスの器に出会ってからだ。
「夢で見た景色とか、昆虫の色とか、むかし娘がふいに植えたすいかの種からでた芽とか。そんなものからインスピレーションを得て、ずっと作品を作っています。」
大胆で伸びやかな作品は一体なにから着想を得ていらっしゃるのだろう、とご本人に尋ねたお返事に最初硬派な横山さんからは意外な気もしたのだが、いちファンとして毎年作品を手に取り続けていくうちに納得し始めた。
昨日の大きな夕日、忘れがたい満月の夜、蝶の羽のようなグラデーション、夏の畑で空を見上げたときの光の粒。心に仕舞い込みたい、と思わずにいられない瞬間をシャッターを切るみたいに作品へ落とし込む。
数分、という勝負の短い吹きガラス。小さな坩堝で凄まじいスピードで繰り返される選択の連続のなかからこそ、奥底にある美しい風景が浮かび上がり、あの唯一無二の作品たちが生まれるのだろう。
小さな頃から自分には収集癖はない、と思い込んでいた私だが(本は除く)、ここ数年家の構成人数は変わらないというのに、反比例して器はどんどん増えている。その筆頭が横山さんのガラスたちだ。
ただ、言い訳ではないのだけれど。器を持ち帰る、使う、ということは家に新しい風景をつくることだな、と思う。横山さんのガラスを使わない日は一日もない。今朝も朝の光とともに一杯の水から今日がはじまる。