思い出しもしないのに覚えていた風景があった。
10月1日は友人の畑へ稲刈りへ。
金色に光る一面の稲穂。岡の上の視界は何も遮るものがなく、風も光もいつもと違った匂いがした。
稲木をつくり、収穫した稲をどんどんかけていく。
10月とは思えないくらい暑い。今年の熊本は夏が長居している。ひとつの田んぼが終わると稲木の影に座り込んでみんなでお茶を飲み、菓子をつまんで、暑いね、と繰り返す。
そういえば小さい頃はこんな風景が身近にあったな、と急に思い出したりする。何が面白かったのか刈り取られた稲の出っ張りを従兄弟たちと競って踏んで遊んでいた、小さな頃の記憶。ああ、あれはこんな季節だったのか。
彼ら夫婦の家に行くのがすきだ。
彼らのいつだってフラットで温かい出迎えも、無理はしていないのに心がしゃんとする暮らしぶりも、窓からの風景も。そしてあの家へ向かう道中、どんどん山深くなってきて、季節によって山の色がグラデーションのように変わる様子とか、全部。そこへ向かうプロセスも全て彼ら自身で、彼らの家へ続いている、という気持ちになる。
次は生姜掘りだ。