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個人の灯火

それにしても最近はめっきり洋服を買わなくなった。人は40も半ばを過ぎれば、誰もが洋服というものを買わなくなるのだろうか。いやいや、そんなわけはないでしょう。

「自分の店でたまに洋服の展示会をするから」。

それも服を買わなくなった大きな理由のひとつにはなると思う。確かに自分は普段から店で展示させてもらった服ばかり来ているから。でもそれだって、言い訳のひとつには違いない。

「子ども服を買うことで満足をしている」。

ああ、それは間違いなく大きい点だ。正直に言って、ある時からもう自分の服を買うことよりも、子どもの服を選ぶ方が数百倍も楽しくなってしまった。子どもを連れて街にあるどこぞの古着屋に行っては、レディースのコーナーでサイズが合いそうな服をああでもないこうでもないと彼と共に選ぶ愉しみ。これに勝る愉しみを自分は今ここに思いつけそうにないくらいだから。

といって、某ユニークで巨大なクロージングにたまに行くこともある。その目的の多くは消費的な子ども服を買うためだけども、その時に自分のものを買うことも増えたことをここにこっそり告白する。

以前は自分が小さな個人店をやっているせいで、そのカウンターとしての大企業的なあれこれにいちいち中指を立てることもあったけれども、気がつけばその季節さえもうとっくに過ぎ去ってしまったように思う。特にコロナ以降、いよいよその色合いと気分は濃くなり、あらゆる面において、大企業的なあれこれにクロスカウンターを当てることはもはや叶わないような気がはっきりとしている。どちらかと言えば、個人も企業も共に手を組んでは、この厳しい現実を協力しながらなんとか生き残っていく感じだろうか。なんせ、あの村上春樹が某ユニークと絡む時代なのだ。我々も思えば遠くへ来たもんだ。

とにかく自分が個人としての店をやっていながら、悲しくも他の個人の店にがっかりすることもひたすら多いのも事実だったりする。そのやるせなさともどかしさ。先日も映画『DUNE』を観た後、とある小さな店でとある麺をすすってみてはそんな想いをしたばかり。とあるひとは美味しいとどこかで書いていたのだが。そうしておんなじ個人の立場から、どうやったらこの店があの大手のチェーンに敵うだろうかと、歩いて帰りながらずっとひとり意味なく頭を捻ってはあれこれ考えてみたが、どうやらそれは無理な相談のような気がしてやめてしまった。僕らのすべてはこうして企業的なものにすっかり飲み込まれてしまって、個人の灯火は儚く消えてしまうのだろうか。

否。一個人であるその人の手でしか生まれ得ないものというのはこの世に確かにあるはずで、僕の仕事はそんなひとりの作家の手を探しては、この小さき声とペンでvertigoという店からなんとか伝えていくことだろう。それがいつまで続けられるかわからないけれども、自分のすべてはそこに捧げたい。と、ここにこっそり記したい。

機械ではまずもってプログラミングできないであろうひたすらヒューマンな編みの技術、一度っきりの偶然と必然が織りなす偶発的で美しい染めの技術。この場所でしかあり得ないそれらのコラボレーション。そんな展示会が今週からvertigoにて始まっています。

『stream』

谷口聡子・「Funatabi atelier」大木もと子 二人展

2021.10.23(sat)~11.7(sun)

・・・おお、なんと今回も宣伝で終わりですか。まったくもって、すみません。

※写真 Eto kikaku

中村 慎vertigo店主

熊本の白川公園の裏っかわ、満月ビルの3Fで『vertigo(ヴァーティゴ)』という雑貨店をしています。

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