彼女とは多分4回しか会ったことがない。
友人の結婚式で出会い、なんだかとても好きだな、と思って、熊本で2回、ついこないだ福岡で会って、合計4回の計算。(彼女は福岡に住んでいる。)
「本ができたから送るね」と、1冊の写真集が届いた。
彼女は写真を撮る人だ。
『いくつかある 光の』というタイトルのその本は、4回だけ会った東北の海沿いの街に暮らす人を被写体にした1冊。家族でも恋人でも、友達と呼べるものなのかすら分からないひとを訪れ、撮影する。本をめくることは彼女たちの時間を一緒に疑似体験するような行為だった。1度目、2度目、3度目、、。時を重ねることがどうゆうことなのか、ということを写真で、そして頁をめくることで思い知る。
彼女の作品をめくりながら、極めて個人的なふれあいを、でも同時に普遍的な誰しもが心に持っているような他人への面影を見せてもらった気がした。「何者でもない、特別ではない他者」を肯定して、受け止める、ということがどういうことなのか、ということも。
本の御礼に何を送ろう、と考えたとき、ふと私も彼女のことは何も知らないのだな、と気がついて面白くなった。メールや手紙を読み返して改めて分かったことは彼女のお母さんが茉莉花茶が好きだ、ということくらいで、結局何度もその本をめくりながら思い浮かんだ一筋の光を贈った。
どこかで生きる会ったことのない誰か、に思いを馳せるということは自分にとってもそしてその他者にとっても、きっと大きな救いとなるように思えてならない。
写真はずっと前に撮ってくれた我が家の木香薔薇。去年病気になって思い切って剪定したら,春、また元気にわさわさし始めた。時間も、写真も、記憶も、手に負えず面白い。この本が多くの人の手に届くといいな、と思う。
いくつかある 光の/ふげん社
木原千裕