我が家のローテーブルは、行き場を失った1枚の板から始まりました。
もう10年近く昔のこと。
お客さんから、たくさんの大きな一枚板をご注文頂いたことがありました。什器の天板にするそうで。
その中で、ぽっかりと大きな穴の空いていた1枚がありました。
「惜しいけど、これは出荷できないねえ」
そう言って、木材工場さんのところに残ることに。
それはいわゆる、死に節・抜け節と呼ばれるもので、木の節だったところが抜け落ちてしまったもの。
例えばフローリングになる板に、穴があいてたらよくないですよね。
つまづいたり、汚れがたまったり、ストッキングが引っかかったり。クレームです。
そういう理由で、節が大きいものや抜け落ちそうな板は、業界ではB品、アウトレットのような扱いになります。
顔みたいな節も、はじかれるのがいつものこと。
でも。
いや、この板めっちゃよくない?
この穴、逆によくない?
木材の“評価”をまだよく知らなかった27歳の私は、行き場のなくなったその板を、
吸い寄せられるようにその場で買い取ってしまいました。
木工をされてるおじちゃんに頼んで、角をとって、脚をつけ、ローテーブルに。
洗練されたデザイナーズなんとかというものではないけども、おじちゃんの人柄がでているこの丸み。
そして抜け節と呼ばれたあの穴は、PCのケーブルを通すのにぴったり。
小さなテーブルながら、酒と美味いものを乗せてはみんなで囲む、独身の楽しい夜を支えてくれました。
家族が増えた今は、食卓とするにはちょっと狭すぎる…が小さな子どもにちょうどいい高さ。
幼児が乗ろうと微動だにしない安定感が採用となり、3歳児の創作活動デスクとして活躍中。
ペンやクレヨンやらで程よい差し色とダメージだらけですが、なかなか良いものです。
そしてあの穴は、子どもにとってはいい遊び道具。
ビー玉やらゆずの種やらをコロコロと転がり落す、ピタゴラ装置的な楽しさがあるようで。
木材はモノによっては、穴が開いてたり、まっすぐじゃなかったり、色がまだらだったり、
なんというか、人間と同じ感じがするといいますか。
そういうのも全部まるっと含めて、付き合い方があっていいなあと思っています。
3歳児が大きくなって勉強机とかに移行し、このローテーブルが私の元に戻ってくる時がきたら。
職人さんに表面をきれいに削ってもらって、また新しい人生を歩んでもらおうかなあと思っています。
いうて削らない気もするけど。それはそれで、思い出をなぞる楽しみに。
家具を買うのではなく、家具と生きる。
家づくりもそういう面があるのではないかなと思っています。