なぜだろう。最近昔ヨーロッパへひとり旅に行った時のことをたびたび思い出す。やはりコロナによって、すっかり旅というものが遠くなってしまったからだろうか。その時のつたないメモ帳のようなものを眺めながら、ぼんやりいろんなことを考えている。
僕が行ったのは自分が学生の頃なので、もう遥か遙か昔のこと。2ヶ月オープンのユーレイルパスを持って、オランダのアムステルダムから入って、出ていくのが2ヶ月後のイタリアのローマ、ということだけを決めて出かけた、本当に気ままなひとり旅だった。
ドイツでフィリップ・シーモア・ホフマンによく似た繊細な白人男性の部屋で一緒にビールを飲んではあわや襲われそうになったり(「ノーンッ!!」と何度も叫んで彼の手を叩いてダメ出しした。結局部屋に泊まって朝食まで食べた。実はなかなかいい奴だった)、スペインのマドリッドでブルースマンじみたアフロアメリカンの男性に睡眠薬を飲まされては腹巻きに隠していたお金と写ルンですを盗られたり(今思えばあのオレンジジュースには溶け切れていない白い粉がしっかり浮かんでいたような気がする)、スペインのバレンシアで出会ったけだるい女の子に恋をしてしまったり(僕は彼女のことを勝手にベティと名付けた)、それはまぁいろいろあったのだけど、もし自分の子どもたちが同じくらいの歳になった時、同じように「父ちゃん、俺ひとりで外国に旅へ出たい」と言い出したら、自分は果たしてどうするのだろうか。うーん、そりゃ心配だけど、もう送り出すしかないのでしょうね。だって、僕もそうやってひとりで旅に出たのだから。
具体的に起こったことなんかはさておいて、僕があの時の旅を通じてたった今考えることは、結局のところ、言葉が通じても通じなくても、感覚が合いそうな人というのは不思議とお互い分かって通じ合えるのだよな、ということ。それを異国の地でしっかりと肌で感じただけでも、十分じゃないかと今になって想ったりする。
例えばフランスのパリで会った同世代の韓国人。彼とはお互いカタコトの英語で話していたけれど、なぜか二人で『メン・イン・ブラック』を映画館へ観に行ったことを覚えている。なぜそうなったかといえば、確か彼が「何をしにヨーロッパに来たの?」と僕に聞いてきたからだと思う。
僕は「別に何にも理由は無いんだけど、強いていえば、映画を観に来たのかも」と答えたはず。確かに僕はとにかく一度、どこか他の国で映画を観てみたかった。なんというか、本当に映画というものが他の国でかかっているということを、自分の眼で確かめてみたかった。それは何より、他の国の人々がたった今本当に生活というものをしているのか? ということに繋がっていた気がする。同じような意味で、僕は旅の最中にはできるだけ現地の人々が普段から行っているであろう裏道にあるカフェやバーにひとりで行って、飲むことにしていた。決して観光人向けではない、地べたにあるような一生活者としての空気を共に吸うために。今考えると、なかなかデンジャラスなことをしていたのかもしれないが。
彼はそれだったら絶対これ観た方がいいから一緒に行こうよ、と『メン・イン・ブラック』をゴリ押しした。彼は一度観ていたのだから、よほど推したかったのだろう。フランス語でかかる『メン・イン・ブラック』を日本人と韓国人の若者がパリの映画館で観ている図は、今思えばなんとも不思議な感じではある。
確かイタリアのシエナあたりのユースホステルで出会ったオーストラリアの若い男。その時は初めて出会った異国の男性たちと近所のピザ屋からピザを買って、みんなでわいわいとワインを飲んでいた(それにしても石窯で焼かれたすこぶる香ばしくうまいピザで、それは今でも生涯ベストのピザだ)。その時、みんなで年齢の話になって、彼が20代前半というのを聞いて、僕はすっかり驚いてしまった。まったくそうは見えなかったからだ。こちらからすると、往々にして西洋人である彼らは年上に見えてしまうし、向こうからすればアジア人は幼く見えることがどうにも多い。
僕が本気で驚いてしまうと、彼は「お前、さすがにその本気のリアクションはねーだろうがぁ!!」という感じで冗談めいて怒った顔をした。今でも素敵に捻くれたその顔を思い出す。そして、その時にああこいつとはきっとウマが合うなぁと感じたものだ。現地で食べた美味しいものだとか、恐ろしい体験だとか、そんなものと一緒に、いやそれ以上に、そんな少しだけ通じ合った感情のかけらのようなものをたった今思い出すのだから、やっぱり旅とはなんだか面白い。
もはや多くの人が言い尽くしていることと思うけれど、このインターネットの時代はあたかも知ったようなことが多すぎる。みんなその眼で見て感じることはなく、知ったようなことを知ったような気になって書いている。それはあまりにも空虚なことだと感じる。せめて自分の子どもたちにはそうなってほしくない。であれば、やはり僕らは彼らに旅をさせるべきなのだろう。
・・・遠くまで旅する人たちに、あふれる幸せを祈るよ。